こじま的な記録

札幌のとある大学生

絵のはなし


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『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』原題:D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?、1897年-1898年


ゴーギャンタヒチ時代に描いた油彩画。その並々ならぬ精神世界を、タイトルだけで感じることができる。



今日は絵のことを書こうと思う。
突然だが、これを読んでいる方の中に、
「美術館は何か敷居が高い」
「絵画や画家の知識がないから行けない」
「どうせ気取った人しか行かないんでしょ」
と思っている方はいないだろうか。いや、いるだろう(確信)


これまで述べてきたように僕は運動ばかりやっていた人種なので、以前は、いわゆる「名画」を見たり、解説されても「ふーんすごい」といった具合だった。まさに最初に述べたタイプの人間だった。
そして、残念ながら上記のようなイキッたサブカルクソ女成金成城ばばあがいるのは事実のように思える。しかし当然、絵が好きな人たちがそんな人ばかりかと言うと、そうてはない。


フランスにいた頃、日々の生活と絵画の距離は驚くほど近かった。「ちょっと時間あるし美術館いく?」 といった具合で絵を観に行っていた。
学生は美術館の入場料がタダなのはその要因のひとつだろう。もしあなたが絵画との距離を感じるなら、それは国や美術館など、発信側にも問題があるのかもしれない。

留学も半ば、4人の友だちとスイスはバーゼルに行った時に、そのうちの一人に言われた言葉が、僕の絵画を鑑賞する姿勢を大きく変えた。



「絵を見て何も分からないときは、5分間何も考えずに見ろ」



( 正確には美術史専攻の友だちの指導教官の言葉)


表現技法や、画家の歴史は、絵画をもっともっと面白く見せてくれるが、絵は絵なのだ。知識の塊ではない。同じ人間が書いた作品だ。
分からなくても良い。真正面からその絵に向き合う姿勢が一番大事なのだと。



逆に「ふーん」で素通りするのは、描いた画家に失礼だとさえ思う。それは、誰かが必死で伝えたいその言葉を無視することと同じだからだ。画家が伝えたかったことは必ず絵画に描かれており、我々が耳を傾けなければそれは伝わらない。

とはいえ、現実的にはすべての作品を5分ずつ見ていたら、時間はいくらあっても足りないので、僕は「できるだけ5分間」を心がけている。その位のスタンスで良いと思っている。


タイトルのゴーギャンの絵についてここで語ると、十中八九陳腐な言葉で終始するため、ここでは止めておこう。ただ、さっき久々に見て涙したとだけ。(実物はまだ見ていないけど。)


付け加えておくと、画家の歴史を知って絵を見ると、当然ながら数倍面白い。バックグラウンドにはこういう出来事があったのね、ということを知ると、想像力・発想力が豊かになる。知識は使って初めて知識なわけだ。



さて、ゴーギャンの言う「自分とは何者で、どこに行くのか」という問いを考えるのには、就活は絶好の機会になる。目を背けては何も始まらない。いわゆる自己分析ってやつですね。




絵と自分と仕事。繋げたい要素のひとつ。



あざした。