kがいくよ

とあるマネジャーの支離滅裂な日々

スキー部に入るまで

こんな過酷な競技を3歳から父親にやらされてきた僕は、必然的に競技をすること自体に嫌気をさし始めていた。

環境も悪かったのであろう。民間のコーチに師事していたため、周りはドMで内向的なおじさんたちが多数。同学年の子と競い合うこともない中で、面白さを見出せなくなった僕は、12歳の時に競技を完全に止めた。いや、正確に言うと10歳から始めたバスケットボールに逃げた。


そこからは高校までバスケット一筋だった。チームで練習し、結果として試合で全てが噛み合った時の達成感はスキーにはない特別なものだった。

同時にどっぷりとバスケにはまっていた僕は周りが見渡せなくなっていることに気がついた。自分がいくら調子よくプレーしても、勝敗は常にチームに左右される。それこそがチームプレイの醍醐味であるが、責任が分散することは、逆にチームへの甘えや依存にもつながり、結果としてチームは崩れかねない。高校ではその集団競技の悪い部分が出て、互いに依存しあい、結果も出ないので腐っていった。


このまま甘えたままで良いのだろうかと自問し、答えは出ないまま大学に入った


大学に入るとすぐに新入生歓迎いわゆる新歓がある。新歓時期は部員集めのためにどの部も新入生に飯を奢ったり競技を「楽しく」体験してもらう。

如何に新入生を気持ちよくさせ、今後4年間この部で続けたいなという気にさせるかが部員集めの大きなポイントになる。
新歓時期はお金が飛ぶように減るので、飯を奢るのは部費からだそうぜと提案したが見事に却下された。
 
僕は新歓時期には基礎スキー部に入り浸っていた。受験で疲れていた僕はただただ楽な道に進みたい=楽しくスキーをしたい方向に向かっていたからだ。

 

もう基礎スキー部に入ると自分含め誰もが思っていた。
 
新歓の終盤時期のこと。1年生が一般教養を学ぶ教養棟を出ると、「スキー興味ないですか」とスキー部が声をかけていた。(ちなみに僕の大学にはスキー部と称している団体が4つある)
今でも忘れないあの決定的瞬間。僕は当然振り向いた。しかし、部員が持っていたのは競技スキーと書かれていた。まずい、と思って振り向き直したその瞬間、「いまこっち見たでしょ君。なんで見たの?ねぇねぇ」という痴女モノAVもビックリな声をかけられた。男から。
 
クロスカントリースキーをやっていたことを告げると文字通り一瞬だった。気がついたら入部していたというのはあのことなのだろう。飯を食べたが味も覚えていない。基礎スキー部など頭から消えていた。その日の夜に決断のメールを送った。
 
ここで、当時19にして分かった真理がある。
  • 自分を必要としている場には、他の選択肢を振り払ってでも行きたくなるということ。
  • 一瞬の判断(=直感)を大事にすべきということ
結果は分からない。僕は競技スキー部しか経験していないし、基礎スキー部の同期からは楽しくやっていると聞いた。だが僕はこの決断は正しかったと今でも思う。
 

 あざした。