雪に触れている時間
ゲレンデスキー
スキージャンプ
山スキー
クロスカントリースキー
雪のことはクロスカントリースキーをやっている人間に聞こう。
我々は、アイスバーンから新雪まで様々な雪の上を走っている。 とりわけ、文字通り板を履いて走る「クラシカル競技」では、板を平行にしたまま山道を登るためグリップワックスという特殊なワックスを滑走面に塗る。グリップが雪質に合わない場合、キックすることができず滑ることは困難になる。これをピタリとその日の雪に合わせるためには、雪温・降雪状況・気温変化・風・時には天気図と日々格闘しているのである。そのため、彼らに雪のことを1聞けば100帰ってくることは当然である。「明日の札幌市の午後の雪質どうかな」と聞いてみるのはどうだろうか。「午前の日照が長く新雪もないからVR55くらいだけど…」などと返してくれる。
まとめ
TINTINと日々の生活。
迷い。
※追記
金欠アンド金欠アーンド金欠
おかねのはなし
後ろから読むと、「しなはのねかお」。アナグラム的には「のおかはなしね」。農家は無しね。うん。スキー部に入るまで
こんな過酷な競技を3歳から父親にやらされてきた僕は、必然的に競技をすること自体に嫌気をさし始めていた。
環境も悪かったのであろう。民間のコーチに師事していたため、周りはドMで内向的なおじさんたちが多数。同学年の子と競い合うこともない中で、面白さを見出せなくなった僕は、12歳の時に競技を完全に止めた。いや、正確に言うと10歳から始めたバスケットボールに逃げた。
そこからは高校までバスケット一筋だった。チームで練習し、結果として試合で全てが噛み合った時の達成感はスキーにはない特別なものだった。
同時にどっぷりとバスケにはまっていた僕は周りが見渡せなくなっていることに気がついた。自分がいくら調子よくプレーしても、勝敗は常にチームに左右される。それこそがチームプレイの醍醐味であるが、責任が分散することは、逆にチームへの甘えや依存にもつながり、結果としてチームは崩れかねない。高校ではその集団競技の悪い部分が出て、互いに依存しあい、結果も出ないので腐っていった。
このまま甘えたままで良いのだろうかと自問し、答えは出ないまま大学に入った
大学に入るとすぐに新入生歓迎いわゆる新歓がある。新歓時期は部員集めのためにどの部も新入生に飯を奢ったり競技を「楽しく」体験してもらう。
- 自分を必要としている場には、他の選択肢を振り払ってでも行きたくなるということ。
- 一瞬の判断(=直感)を大事にすべきということ